546 :VIVA:02/03/29 02:33
幼稚園の頃、同級の子が車に撥ねられて死にました。
それから月日がたち、小学校4年の時に、そいつが転校生として私のクラスにやってきたので面食らった。
幼稚園の時に同級だったうちの4,5人が当時のクラスメイトにいて、皆で昼休みに体育館裏に集合し、
「あいつ、事故で死んだよな。どういうことだ?」とパニックになって激論したが結論でず。
本人には、『おまえ、死んだはずだよな』などと言えないので、普通にクラスメイトとして過ごしたが、皆びくびくものだったよ。
その転校生と話をすると、確かに同じ幼稚園にいて、私のことも覚えていた。
本人の話によると、父親の仕事の都合で小学校からは別の土地になり、今回、また父親の転勤で帰ってきたんだと。
別に事故になんか遭っていないし、ましてや死んでなんか居ない。
なのに、幼稚園の同級生が何人もそいつの葬式に参列した覚えがあり、確かに死んだはずだと思っていたのは、
今でもとても不可解で、今に至るまで嫌な気分にさせられている。
しかも最近、仕事先で偶然、幼稚園以来一度も会っていなかった友人と再会し、懐かしい話に花を咲かせたが、
ふとそいつが「そういえば、幼稚園の時に交通事故で死んだやつがいたよな」と、例の男の名をあげて話をし始めた時は、
さすがに気の遠くなるような寒気を覚えた。
全然霊体験もしたことのない自分だが、いまでもこのことだけは納得いく説明がつかない。
568 :VIVA:02/03/30 12:40
レスに書いていただいた質問の一部について答えます。
まず、幼稚園の時にそんな葬式はありませんでした。
これははっきりしています。幼稚園ならば、当然お葬式があれば、親と一緒に行くはずです。
しかし、私の親も、他の友人の親も、誰もその葬式については記憶がないとのことでした。
それどころか、彼の印象が驚くほど薄く、
卒園アルバムの彼の写真を見ても、「こんな子居たっけ?」という反応をされたのを覚えています。
そんな子はどのクラスにもいると思うので、さして不思議ではありませんが。
(この事実は、不可解な転校生がきた時点で、皆が各自の家で確認しております。
546では言葉足らずですみませんでした)
また、552さんのレスにもあるように、
彼本人は、幼稚園を卒園してから小学校に上がる間の3月ごろに、大阪に引越ししており、
彼自身にとってはゴク普通の引越し→大阪の学校への入学なのです。
これも当時確認済みです。
ですから、普通に考えれば、私自身の勘違いと認識できそうなケースなのですが、ここでひとつ問題があります。
なぜ私だけでなく他の同幼稚園出身者も、私と同じように彼が死んだことを『確信』していたのか。
小学校当時のクラスメイトだけならば、
なにか共通の意識を植え付けられるようなことがあったのでは?ともこじつけられますが、
546に書いたように、当時の園にいて、その後、ほとんど音信不通だった人間でさえ、
彼の葬式には出た、そして彼は確かに事故にあい、そして死んだ!!(はずだ)
と断定して居ることに、私はつかみどころのない焦燥を感じているのです。
ちなみに、卒園の前後に事故に遭ったはずなので、
既に卒園アルバムは配布後で、アルバムから真偽の判断をする材料を見つけるのは困難です。
また、当時通っていたミッション系の私立幼稚園は、その後の経営不振で現在存在しません。
日常の社会人生活が忙しく、普段は気にもとめないのですが、
ふっとこの奇妙な出来事を思い出すことがあり、その不可解さに決まって気分がなえるのです。
また、例の彼は、いわゆる転勤族の息子のようで、
中学に上がる前に、また別の土地へ転校して行き、その後は没交渉です。
彼には何の責任もありませんが、もしも彼が今後私の前に現れるようなことがあったら、
私はどういう反応をして良いか困ってしまうはずです。
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