後味の悪い話 『Iターンした一家』 - 洒落怖本舗

後味の悪い話 『Iターンした一家』

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439 :1/3:2008/03/13(木) 11:01:33 ID:uraCRgvu0

東北地方の田舎であった実話です。

オレの隣に、定年退職した夫婦とその息子二人(二十代)が引っ越してきた。

こちらには特に血縁もあるわけではなく、

いわゆるIターン(※出身地とは別の地方に移り住む事。特に都市部から田舎に移り住むことを指す)というやつ。

この街にした理由は、夏は涼しく冬はわりに温暖で雪も少ない。

旦那さんの趣味の釣りのスポットも多くあるし、

うつ病気味の息子たちに田舎でのびのび生活させたいというのもあったらしい。

しかし、一家四人で退職金だけで暮らしていくのは厳しいらしく、商売をすることになった。

長男と話をしたところ、パスタ屋を開くことにしたみたい。グルメ関係の本を見せて熱く語っていた。

当時この街ではパスタ屋なんておしゃれな店はなく、スパゲティを食べられるのは喫茶店か食堂だけだった。

もしかすればそこそこの商売になるかもしれない。

しばらくして開店したので、オレも遊びに行って見た。

場所は繁華街近くでわりといい立地。

店内はイタリアンぽくしたかったであろうが上手くいかず、和風とカントリーも混ざったカオスな空間。

長男ご自慢のカウンター(東京の有名店パスタ店のパクリ)だけが妙に浮いていた。

従業員はオーナーシェフが旦那さん、ウェイターが奥さん、

バーテン兼ウェイター兼会計が長男(軽めのうつあり)、

次男(やや重めのうつ)は旦那さんと一緒に厨房。

料理は手作りパスタが一通り(10種類くらい)に、サラダ類、ピザなど。

酒類はビールやワイン(けっこう揃ってた)、カクテルにウィスキーなど。

味のほうは、素人だからお世辞にも美味しいとは言えなかったけどね。

やたら味が濃かったり薄かったり、パスタも茹で過ぎだったりコシがありすぎたり。

まあでも、一家でがんばっている姿に少しは安心して帰路についた。

440 :2/3:2008/03/13(木) 11:02:18 ID:uraCRgvu0

次に行ったのは約半月後。

開店直後と比べると明らかに客足が落ちていた。

メニューにも多少変化があり、唐揚げやフライドポテトなどの冷凍ものが増えていた。

ワインリストは何種類か削られていた。

営業方針を模索していたのかもしれない。

味については前回と大差なかった。

3回目は前回から約1ヵ月後。

前回とは明らかに店の雰囲気が変わっていた。

落ち着いた音楽の流れていた有線はなくなり、代わりにテレビが。

メニューのカクテルはなくなり、代わりに各種サワーが。

カウンター後ろの棚にあった洋酒類は、ボトルキープのウィスキーや焼酎に。

メニューにはご飯類が登場していた。

しばらくしてちょっとした事件があった。

深夜に隣から物騒な物音。

次男が症状が悪化して暴れだしたとのこと。

その後次男は引き篭もりになる。

4回目に行ったときは、カオスな店内がさらにカオスになっていた。

あちこちにオススメ品の張り紙。

カウンター横に棚を置いて、アジアン民芸品みたいなのも売っていた。

客層は明らかに変わり、ほとんどが酔い客となっていて、完全に居酒屋化していた。

そしてメニューの手作りパスタの『手作り』の部分が消されていた。種類も三種類のみ。

ただし味のほうは市販品を使っているだけはあり、前回よりよくなってはいたが・・・

441 :3/3:2008/03/13(木) 11:02:50 ID:uraCRgvu0

冬になるころ、今度は長男が居なくなった。

やはり生まれ育った東京が忘れられないようで、両親が買い出しに出ている間に家出したとのこと。

最後に訪れたときには少ない客足がさらに少なくなっていた。近所にチェーン系の居酒屋が出来たからだ。

メニューは塗り潰されたものが目立ち、生ビールは瓶ビールになり、ワインは無くなっていた。

旦那さんは厨房でタバコをふかし、奥さんはため息ばかりついていた。

ダメダメな雰囲気が充満していた。

それでもその後2ヶ月ほどがんばったが、1年続かず2月末で閉店。

夢と希望を持ってココに来たのに、1年しないでこの一家は去っていった。

笑顔の絶えない旦那さんは、憔悴しきって髪は薄くなっていた。

セレブな雰囲気の奥さんは、生活苦だたようオバちゃんになっていた。

長男は家出したまま音信不通らしいし、次男はうつ悪化で引き篭もりになっていた。

去り際に旦那さんが、「ここひどいところだ。もう来ません」と言い残して東京に帰っていった。

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